昨日の記事【かぐや姫の小物入れ】から、
更なるメッセージの予感を温めていたら、
取り出せました。
「家」から連想して「神社」。
今年の初詣で、
私は、湯島天神で、菅原道眞公の御魂をお預かりした。
まだ、道眞公の御魂は天界にお戻りになっていなかったから。
(注:御魂鎮めについては、【ミコトからの言葉を紐解く 4 御魂鎮め】を
お読みいただきたい。)
その時、一部の地上の人が、
あの神社には、もう神はいないとかいるとか表現するのを
聞いたことがあることから、
そもそも、神社の存在する意味も含めて、
ミコトに質問した。
今日はそれをシェアさせていただこうと思う。
私の質問は、少々、焦点のぼやけた質問ではあったが、
ミコトのとのやりとりは、以下の通り。
゜+.――゜+.――゜
私:ミコト、道真公の御魂をお預かりできるとは、正直、思いもかけずでした。
私にもミコトにも、縁の深い魂、道真公。
よかったです。天にお戻りになるご了解をいただいたのですね。
道真公の自由意志で、お決めくださったのですね。
ミコト:そうです。勿論自由意志で。(ほほえみ)
私:つかぬことを伺いますが、
神社の御祭神は、天に戻られても、
その魂が御祭神だった神社を守ろうというお気持ちは
おありなのでしょうと私は考えていましたが、そうではないのですか?
あの神社には、もう神はいないとか、いるとかの表現がありますが、
地上の人間にとって、そうした表現は意味があるのでしょうか?
ミコト:人々が、神が神社にいるということをどういう感覚で言っているか、
これも人により個別なので、一概には言えない、言いたくないところです。
今日の湯島天神に参拝する人の数。
行列を作って。
今日で、御魂はお預かりしたという事実はあるにしても、
来年も又、あの行列はあるでしょう。
道真公の御魂は、人々の心の中にあると考えるのはどうでしょうか。
心の中にある道真公の象徴が神社。
あなたも経験から分かるでしょうが、
人は皆、目で見える形のあるものを拝したいのです。
かつて、日本の人々は、山や森を神として祀りましたが、
次第に神社、神の住まう象徴としての社(やしろ)を建てました。
人々の目に見える形であってほしい祈りが、神社という形になったのです。
心の中では頼りない。
目の前に内側の投影として、神の家を作ったのです。
人々が家に住まうように。
そう考えてみてください。
答えにしてもらえるだろうか。
゜+.――゜+.――゜
私はこのように考えることで納得した。
以下は私の言葉での補足です。
かつて御祭神であった天界の存在は、
今でもその神社に心を向けているとのことでした。
道眞公であった天界の存在は、
これからも天満宮に心を向けているということと
私は理解している。
さて、すでにFBでは記事としてアップしたことではあるが、
今年の湯島天神での御魂鎮めの日、
私はおみくじを引いた。
菅原道眞公の御歌が記してあった。
「海ならず ただよふ水の底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」
誰もが知る道眞公の和歌。
「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」
この和歌が、私、梅木との縁を暗示しているのは、
いうまでもないが、
御魂鎮めをさせていただいた日に、
数ある道眞公の和歌の中で、
月に関連する歌の記してあるおみくじを引いたのも、
やはり、私がかぐや姫と呼ばれるようになったことを思えば、
偶然ではないだろうと言いたかったわけだが、
今、FBの記事を調べていたら、
私はすっかり忘れていたことなのだが、
2014年1月2日にも私は湯島天神に初詣に参り、
おみくじを引いたことをFBの記事にしていた。
今、読んだところによると、
この時も同じ、
「海ならず ただよふ水の底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」
の和歌の書いてあるおみくじを引いたと書いてある。
偶然の重なりというか、必然というか…。
私が10年ほど前まで住んでいた、
埼玉県の家の玄関先には、
梅の木が植わっていた。
写真は
HP「ひたむきにアンズの庭」より。
その梅の木の写真。
道真公の和歌、
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」
に敬意を表して。
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